【ご注意】
このお話は、「らせんの上で悪魔と踊る」のオマケ小説です。
始エンドの続きっぽいお話なので、本編を読んでいない方はご注意下さい。



 一人暮しをはじめてから、色々な事が変わった。

 以前はほぼ毎月カゼをひいていたけれど、今は三ヶ月に一度くらいに減ったし、苦手だったはずの早起きもそれほど辛くない。

 夜になると突然気持ちが落ち込むとか、意味もなく悲しくなることも、ずいぶん減った。

 家族仲が悪かったわけではないけれど、前の生活と比べてみても、一人暮しの方が自分には向いているのだと思う。

 良い事ずくめの一人暮し。

けれど、ひとりぼっちの部屋は少しだけ寂しくて。

好きな人が側にいてくれたらカンペキなのに、と思ってしまった。

 −−−【ハジメレイ】−−−

一人暮しをはじめたとき、一番悩んだのは洗濯のことだった。

一人分の洗濯は少量なので毎日洗濯機を回すのは勿体無い。三日分くらい溜まってから洗えばいいやと放置するけれど、洗濯機の中にいつまでも汚れた衣類が残っていると思うと、どうしても気になってしまう。待ちに待った三日目、はりきって洗おうと思っているときにかぎって雨が降る。三日分の洗濯物を狭い部屋の中に干して、憂鬱に過すなんて事も結構あった。

普段の洗濯は洗うタイミングを悩むだけだけれど、季節の変わり目になるともっと深刻な問題が発生する。服の材質によっては、普通の洗剤で洗ってはいけない物もあるのだ。気に入っていたセーターが子供服のように縮んでいたときには、大笑いしながら少しだけ泣いた。

洗濯は今でも悩みのひとつ。

それに引き換え、料理はずいぶん上達したと思う。

最初のうちはコンビニで弁当を買っていたけれど、金銭的な問題からすぐに自炊に切り替えた。実家に住んでいたときはろくに料理なんて作ったことはなかったけれど、本を読んだり料理番組を見たりしてレシピを憶え、作っているうちにどんどん楽しくなってしまったのだ。弁当を作って学校に持って行くと、みんなも「うまい」と誉めてくれるものだから、調子に乗って作り続けているうちに「趣味は料理」と言えるくらい好きになっていた。

だから、朝から二人分の朝食を用意して、二人分の弁当を作るくらいなんとも思わない。

和食だろうが、洋食だろうが、中華だろうが、まったく気にならない。

気にならないのだけれど、こう考えると猛烈に気になってしまう。

当たり前のように、「恋敵」の食事の世話をするのはどうなのよ?

そう考えると、てきぱきと動いていた手が止ってしまうのだ。

始との関係は同じ学校の後輩で、バンドの仲間というだけ。

匡先生から思いを寄せられているくせに、僕のことを好きだという。なぜ僕なんかを好きになったのかという理由は聞いていないけれど、始は飽きっぽい性格だからすぐに気持ちは冷めるだろう。だから告白に対する返事は必要ないだろうし、始からも何も言ってこないので、このまま時間が過ぎていくのを待とうと思っている。

正直な話、理解できない始のことはどうでもいい。問題なのは、匡先生だ。匡先生が始の気持ちに気付いたら、嫌われてしまうかもしれない。

始には口止めをしておいたけれど、本当に守ってくれるだろうか?

奴の行動はいつも突然で、僕の予想の上を行く。

隣の部屋に引っ越して来たときもそうだった。

告白されてすぐに「隣の部屋を借りた」と言われ、次の日にはもう住んでいた。こんなに早く引っ越せるわけがないので、おそらく告白する前に引っ越し準備は終わっていたのではないだろうか。もし僕が始の戯言を真剣に受け取ってしまい、こっぴどく振ってしまったらどうするつもりだったのだろう? もしかしたら、始のことだからどんな返事が帰って来ても平気なのかもしれない。いつも自分が中心で、自分がやりたいと思ったことは他人が泣いても実行する。始はそんなワガママ野郎だから。

始が引越しの挨拶代わりに持ってきたのは、ソバでもなく、ありふれたタオルでも洗剤でもなかった。細身の肩にどっしりと乗っかった、二つの米袋。

「これからはご近所さんとしてもよろしくね」

玄関にどっかりと降ろされた米袋には、金色の文字で「気仙沼産、コシヒカリ」と書かれていた。その銘柄は、普段買っている米のほぼ倍の値段だったと記憶している。

「これは、もらえない」

「なんで? おいしいのに」

おいしいのはわかっている。問題は、その値段。

始の家は裕福だと聞いていたけれど、これから一人暮しをはじめるのだから、こんな散財をしていいはずがない。

「引越しの挨拶だったら、タオルとか洗剤とかでいいんだよ。こんな高い物、もらえないよ」

しばらく断り続けていると、始は少し困った顔をした後に「こんなのはどう?」と、妥協案を口にする。

「ときどき伶ちゃんのところにご飯を食べに行ってもいい? それで、このお米を食べさせてよ」

そんな事くらいでコシヒカリを20キロも貰えるのならと、ついOKしてしまった。

今考えるとあのコシヒカリは、現在の状況を作り出す為の作戦だったのだろう。


少しぼんやりしていた為か、今朝は魚を焦がしてしまった。

みりん干しの魚は焦げやすいから注意しなければと思っていたのに。それでも、焦げたところをめくれば食べられないこともない。味噌を溶かして味噌汁を作り、中途半端に残っていた野菜でお浸しを作り、一息ついたところで、朝食の時刻を知らせるアラームが鳴った。

朝食の準備はカンペキ。いつもならそろそろ始が来る時刻なのに、今日は姿を見せない。

何かあったのかと心配になったけれど、始だって寝坊くらいするだろう。

汚れた鍋を洗い、弁当箱におかずを詰めながら待つ。

10分、20分と待つのだが、一向に現われない。

このまま待っていては遅刻してしまう。仕方がないので、様子を見に行くことにした。

そういえば、引っ越してきたときにコシヒカリと一緒に始の部屋の合い鍵も貰っている。合い鍵は恋人に渡すものと思っていたので、その場でつき返したのだけれど、「何かあったときは助けに来て」と言われ、受け取ったのだ。過去に部屋で倒れて救急車を呼んだことがあるので、それを連想させる言葉にはどうしても弱い。その流れで始から僕の部屋の合い鍵をねだられたのだけれど、それは適当な言葉でごまかしてしまった。隣に友達が住んでいたらなにかと心強いけれど、合い鍵はどうしても渡す気にはなれない。始に合い鍵を渡す事により、匡先生との繋がりが薄くなるような気がして、どうしても嫌だったのだ。

始の部屋の鍵には、目がダイヤになっているドクロのキーホルダーをつけている。あえて趣味じゃないものをつけた理由は、無くしてはいけないという心配と、持ち歩きたくないという理由から。その作戦は今の所大成功で、使用するのは今日がはじめてになる。

部屋の前まで来て、携帯で呼び出せば良かったのでは? と気がついたけれど、隣同士で住んでいるのだからまあいいかとインターフォンを押した。

数回押しても返事が無い。

まだ寝ているのか、それとも風呂にでも入っているのか。

もしかしたら、部屋で倒れているのでは?

あわてて合い鍵で扉を開き、中に入る。

「始?!」

そこには、テーブルに突っ伏して眠る始の姿があった。

なにか作業をしたまま眠ってしまったらしく、テーブルの上にはノートとボールペン、クシャクシャに丸められた紙切れが散乱しており、その上に始の頭が乗っている。

朝食の時間に現われなかったのは、寝坊が原因だったようだ。

「始、朝ご飯できてるんだけど」

なぜか苦悶の表情で眠っている始の頬を軽く叩くと、ムニャムニャと何かを呟いて、少しだけ目を開けた。

「伶ちゃん? なんでここにいるの?」

始の部屋に上がるのはこれがはじめてだ。同じ間取りの部屋なのに、まったく違う家具が並んでいるのが少し面白い。普段のファッションセンスが悪いので、きっとインテリアも奇天烈なんだろうと思っていたけれど、意外なことに落ちつきのある暖色系で統一されていた。文句をつけるとするのなら、高級そうな電子ピアノにベタベタとピックリマンシールが貼られている所くらいだろうか。

「何でって、合い鍵くれたでしょ。それで入ったんだよ」

「やっと使ってくれたんだ。嬉しい」

にやりと笑って目をこする。そんな何でも無い動作なのに、はめられたような気がするのはなぜだろう?

「とにかく、遅刻しちゃうから早く食べに来いよ。先に食べてるからね」

「ちょっと待って。これ、見てよ」

テーブルの上に散らばった紙の中から何枚か摘み上げると、それをこちらに突き出してきた。汚いエンピツの線で綴られたシワシワの楽譜は、いかにも苦労して作りましたという雰囲気を醸し出している。

「これを書いてたから寝坊したの?」

「そろそろバラード曲が欲しいなーと思って」

「へえ。がんばったじゃん」

「本当にそう思う?」

「思うよ。僕は曲を一から作るのは苦手だからさ、すごいと思う」

始は頬を赤くして子供のように笑う。

「やった。じゃあさ、ボクのお願い、ひとつ聞いて欲しいな?」

普段なら内容も聞かないうちにお願いを聞くなんて絶対にありえないのだけれど、無邪気な笑顔に毒気が抜かれたのか、素直に首を縦に振ってしまった。すぐに少しだけ後悔するけれど、きっとお弁当のおかずを1品増やしてくれとか、その程度の願いだろう。

「あんまり無茶なのはダメだよ」

「うん。では、この曲の歌詞を伶ちゃんにお願いします」

「はあ? 歌詞?」

「そう。歌詞」

歌詞は「歌いやすい韻の言葉がいい」と言うので始が自分で書いていた。韻を重視しすぎた為か、始にその手の才能があったのか、面白くてハズカシイ内容が多い。コーラスは僕と充が歌っているのだが、面白ハズカシイ歌詞は慣れるまで大変だった。

確かに始の作詞は面白ハズカシイ。けれど、「それなら書いてやる!」という猛者はメンバーの中にだれもいないので、始が担当のような状態になっている。

「もしかしてさ、始の書いた歌詞をみんなで笑ったから、傷ついてるとか?」

「別に傷ついてなかったけど、笑ってたんだ。今、傷ついた」

「でも、慣れてくると味わいがあるって。ほら、『キミの心は硬すぎてこの気持ちが届かないー』とか、『鈍感すぎるキミが悲しい〜』とか、『ボクはキミに憎まれているけどー』とかさ、女の子目線のせつない歌詞で面白いし、悪くはないよ」

良くはないだけで、という言葉は飲み込んでおく。

フォローしたつもりだけれど、やはりその程度ではごまかされないらしい。始は顔を赤くして、背を向けた。

「そんなこと言ってもダメ。今回は伶ちゃんが作詞担当」

「ムリだって。詞なんて書いたことないし。メロディに合わせるとか、絶対に無理」

シワシワの楽譜を始の手に押し戻す。

「せっかく作ったのにな。結構キレイな曲なんだよ?」

完全に拗ねてしまったのか、始は口をへの字にしながらピックリマンシールにまみれた電子ピアノに向かった。

聞えてくるのは、聖歌を思い出させるような優しい音。目を閉じて聞いていると、なぜか春先の朝の空を思い出す。

「キレイな曲だね」

「結構自信作なんだけど、詞を書いてもらえないならお蔵入りかな」

「勿体無いよ。自分で書けばいいじゃん」

ピアノを弾く背中は真っ直ぐ伸びているのに、なぜか落ち込んでいるように見える。それでも、奏でるメロディはとても美しい。

「今までは気がつかなかったんだけどさ、考えているコトがモロに出ちゃうみたいなんだよね。だから、今はちょっと書きたくないと言いますか……」

小声でボソボソと喋っていたから聞き取り難かったけれど、確かに聞えた。

耳まで赤くしながらピアノを弾く背中に問いかける。

「まさかあのハズカシイ歌詞は、実体験だったりして?」

前回は曲調こそポップだったけれど、歌詞の内容はせつない片想いを歌っていた。

つまりそれは始の片想いが歌われており、その相手はどうやら僕らしく。

「だから、今回は伶ちゃんが書いてよ。急がないからさ、書きあがったらボクに見せて。書けなければ、仕方がない。なかったことにしてもいいよ」

それはすごくハズカシイ行為なのでは?

「絶対に無理だ」と叫び出したくなったけれど、「なかったことにしてもいい」という言葉を聞いた途端、喉が詰まる。

もしかしたら、そろそろ告白に対する返事を強要されるかもと思っていたけれど、逆に「なかったことにしてもいい」と言われるなんて、本当に意外だ。

始が引っ越してきてから、「意外だ」と思う回数は増えた。ふと気がつく。それは、本当は増えたのではなくて、始のことを理解しただけ。

僕は始と本心から接することが恐くて、彼を知るという事を放棄していたのだ。

始が引っ越して来てから、僕は常に自分の事だけを考えていた。どうすれば匡先生にこの関係を知られずに済むか。始が僕を好きだと言っているかぎり、匡先生の思いは実らない。それなら始をうまいことひき付けておけば、まだ僕にもチャンスがあるかも知れない。そんな卑怯なことすら考えた。

始を自分勝手だと罵っていたけれど、本当に勝手なのは僕のほう。

「努力は、しないとね。でも、期待はするな」

「うん。待ってる。ボクね、気は長い方だから」

シワシワの楽譜を始から受け取ると、目を閉じた。

耳に残るその曲は、やっぱり春と朝の空を思い出す。桃色と、淡い青のグラデーションを思い浮かべながら、反省した。


朝は一緒に食べる。昼の弁当はついでなので一緒に作る。夜と休日のお昼は、お互いバイトをしている為、帰る時間がバラバラなのでそれぞれで。

今更気がついたけれど、そんな共同生活は不思議だけれどイヤではない。

「そういえば、始は洗濯どうしてる?」

「実は結構困ってる。洗うタイミングも迷うし」

「やっぱりね。じゃあさ、時々は一緒に洗ってあげるよ。その方が節約になるし」

「嬉しいけど、洗濯はちょっとはずかしいかも」

「別に気にすることないだろう。それとも、イヤなの?」

「イヤじゃないです。お願いします。洗濯機はさ、ボクの家のを使っていいよ。乾燥機もついてるし」

「嬉しい。これで雨の日も洗濯できるよ。部屋干ししないで済む」

「なんかね、銀イオンがナントカーって奴だから、靴も洗えるっぽいよ。使ったことないけど」

「なんでそんな良いモン持っているんだよ。洗濯も楽しみになっちゃうじゃないか!」

高機能洗濯機の魅力に負けてしまい、始の部屋に出入りする回数が増えてしまった。

合い鍵には相変わらず目がダイヤのドクロがぶら下がっているけれど、これはまだ付けたまま。

返事は急がない。気長に待つという言葉に、今は甘えさせてもらう。

けれど、近い未来に必ず。

あの桃色と青のグラデーションの曲を演奏する為にも、絶対に。



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